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気ままに思ったことを書いています

「憂き世」 第2話 ~招かれる~

 ~招かれる~

 

男は立ち尽くしていたが、暫くすると我に返り、

(死んだのなら、ここはどこなんだ?)

と疑問が浮かんできた

 

とりあえず、男は眼前にそびえる巨大な建造物の方に歩くことにした

 スタスタと建造物の方へ歩を進めるのだが、一向に近づかない

これは困ったと男が悩んで俯いていると

 

「岡倉様~」

と建物の方から男を呼ぶ声が聞こえた

 

顔を上げて声の方を見てみると、1頭の青い馬が金色の鬣を揺らして、こちらに駆けてくるようであった。馬には翼が生えていて、片翼が白くふわふわした羽で、もう一方が暖かな橙色だった。駆ける姿は美しく舞っているようにみえた

 

青馬は岡倉の前で急ブレーキを踏んだように止まり

「遅くなって申し訳ございません、立て続けに人がお亡くなりになりまして色んな方の相談に乗ってをおりましたら遅くなりまして・・・」と早口で喋った

 

岡倉は馬の美しさと動物が言葉を喋っていることに呆気にとられてしまい、話の内容が全く入ってこなかった。

「あの、すまない、よく分からなかったのだが、君は何で、ここは何なんだ」

岡倉はたどたどしく尋ねた

「あ、そうでしたね、私は岡倉様の案内役を務めますリースと申します」

リースは行儀よく一礼した

「そして、ここは死者が次にどのような人生を送るかを決めるための場所でございます」

リースはあどけない少女のように微笑み、明るく言った。

 

岡倉はどういう気持ちでその言葉を受け止めたらよいか、まだ決めかねていたが

さらに尋ねた

 

「じゃあ、あのバカでかい、スカイツリーの何倍もあるような建物は何なんだ

上が全く見えないじゃないか」

 

リースは少し考え

スカイツリーというのは、存じ上げないのですが、、あちらの建物は魂の宿屋で『可惜夜』と呼ばれています」

リースは屈託のない笑顔で説明した

 

「あ・た・ら・よ?」

 

岡倉は良く分からない宿屋の見えない屋根を探し、呟いた

 

 

 

 

「憂き世」 第一話 ~放たれる~ 

~放たれる~  

 

重い瞼を開けて、ゆっくりと体を起こす

空は虹色で、ぐにゃぐにゃと螺旋を描いていた

 

「やはり死んだのか」

 

男は微笑んだ

辛かった悩みや困難から、逃れられたと思った

 

「地獄か天国か知らんが笑えるんだな」

 

安堵だろうか。そんな言葉を漏らした

 

風も、音もなく、暑いのか寒いのかもよく分からない。眼前にはぼんやりと巨大な建物が見える。その建造物へと続く道は、両側が切り立った崖になっている。崖下には、エメラルドブルーの混じった黄金の雲が雲海を形成していた

 

「綺麗なもんだ、雲海なんて初めて見たな」

男は無邪気に笑った

 

「うちのご両親や、あいつも見たのかねぇ」

男はお道化、懐かしそうに微笑んだ

 

「タン、タララ、タリラ~、リラリ~、シャラリラリラ~」

建造物の中から、手招きするようにハープの音色が聴こえてきた

「優雅なものだな」


と男が思うと 

「カラーン、カラーン、カラーン」

と鐘の音も聴こえてきた

 

その音色は羽のように軽く、すべてのものや概念・空間をものともせず通過するような透明感のある響きで、男の心を射ぬいた。

 

いつもなら、感動を覚えたりしたときは軽口を叩いてしまうのが癖であった。しかし、この時ばかりは言葉がとても品性に欠けた下劣な人糞のように感じられ、ただ心の震えに身を任せるだけだった

 

鐘の音は男に安堵と人生が終わったことを告げた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる意味とは何なのか? 幸せとは何なのか?  私とは?

死にたいなどというわけではない

かといって、前向きに生きていこうと決断したわけでもない

 

誰かのために生きることができたらそれは素晴らしいことだと思う。

特に必死で働いているわけでもないのに命がすり減っていく

生きてるのだから命が、時間が消費されていくのは当たり前なのだが

 

生きる意味とはなんなんだろうか?

そんなこと考える暇があるなら働けと言われるのだろう

意味などないし、馬鹿らしい問いである

 

幸せとはなんなのか?

人それぞれか

しかし、今の日本で幸せを見つけることは中々に骨がいるように思うが

 

私とは?

私は何もないのだと思う。たまたま日本に生まれ、生きてきたが、(生を獲得できていたとはいいがたいのだが)現在に至るまで自分と言えるものを何一つ持っていない。

 

今の自分の気持ちを表す言葉が見つからない。

無常、憂鬱、鬱屈、卑下、怠惰、堕落どれもあまり気乗りしない。激しい競争社会はどうにも向いていない

 

しかし、向いていなくても、それでも生きていかなければいけないな

自分の気持ちをうまく言葉にできない。重みのない言葉は滑稽で空虚だ。

私の生き方も所詮そんなものだろう。

 

技術者たちは必死に人類の進歩の為に、未来の為に働いている

私も何か社会の為にしなければいけない

 

笛を吹いている

どこかで誰かが

笛を吹いている

ぴーぷーぴーぷ

笛を吹いている

きたない音だと

馬鹿にする人がいる

うるさいからやめろという人がいる

 

ぴーぷーぴーぷ

ぴーぷ―ぷー

笛は鳴りやまなかった

僕はおかしくて涙がでた

 

明日も少しだけ、歩いてみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

お金の話 学校の話

世の中金だ

 

かねだ

かねだ

金田

兼田金田鎌田金田

 

かねかぁ~

最近お金への執着が減ってきている。

お金よりも一日の時間が短いことに悲しさを覚える。

 

自らを否定するわけではないが学校教育は今の自分にいかなる恩恵をもたらしてくれたのだろうとつくづく思う。現代の学校教育では創造力は磨かれないし、社会において必要な能力もさほど養われないだろう。学校のために割いた時間にご冥福を祈る。

 

一生懸命勉強すれば金持ちになれる?

そうなのかもしれない。。

 

文章を論理的に書くことは難しい。私は数学が苦手であるから当然、文章構成も苦手な分野なのだと思う。散文的な文章になるのは必然で性格の問題だろうな。

 

最近、文章に対しての価値観が変わった。文章はデザインするものではなくアートに近い感覚で書いている。

 

しかしこんな書き方をしていたら当然読み手は減っていく訳だが、、

まあ読み手なんてもともといないので知ったことではない。

 

とりあえず今、思うこと、お金よりも創造力、創造力よりも、動じない心がほしいと切に願う

 

 

余談

北朝鮮のミサイルの決着がつきそうではあるが、日本としてはどう転んでもきつそうだ。これからも重苦しい枷をつけながら歩いて行かないといけない。今の現代はおもちゃが増えた。子供は遊びたがる、私も遊ぶ、誰かが守ってくれるという精神では自分がいつ死んでも文句しか言えない。それを覚悟のうえでこれからも遊び続けようと思う。

人は遊ぶために生まれてきたのだ

 

 

人が人であるとは?

人が人であるとはどういうことだろうか?

私はどうして生きればよいのだろうか?

齢23歳にして改めて思案してみる。

 

この年齢にあっても全く自己の確立がなされていないことを恥じる。

毎日本ばかりを読んでいる。焦る。来月には、社会にほっぽり出されるわけだが、何の技術をも習得せず大学生活を終えたことを甚だ後悔している。

奨学金も返さなければいけないし、定職にもつけていない全く困ったやつだと思う。

 

自分を恥じる暇があることにも、また恥じらいを覚える。自らの怠惰にはほとほとうんざりである。私はどうにも飽き性で一つのことを続けることができない性格のようだ。

 

テレビも新聞もみず、インターネットでネットサーフィンもしないので世情にはとんと疎くなっている。(見ても見なくても大して変わりはないと思っているのだが)

 

しかし、最近良いこともあった。自分が苦しいと思う立場にいると本当に小さなことで幸せを感じることに気付くことができる。また、感性も鋭くなったように思う。(気のせいかもしれない)

 このほんの少しの幸せにありつけただけで私は今とても幸せである。いつまで続くかはわからないが苦難にあってこその幸せをかみしめて生きよう。

 

人が人を実感するのはやはり幸せを感じているときであるのだろう

 

 

 

 

クレイジー時代到来 

来たるクレイジー時代

 

日本ではクレイジーであることはだめなことと教えられてきた。

クレイジーには「風変り・気がくるっている」などの意味がある。

 

しかし、これからの時代クレイジーは重宝されてくると思う。

社会的に変わり者の地位が向上してくると思う

 

youtuberの台頭やtvでもクレイジーを取り上げる番組がある

そもそもこういった変わり者はいつの時代も一定数存在していて

現代がそういった人々を取り上げる媒体が増えたというだけの話だと思う。

 

変わり者は時代を変えてきた

人の社会を変えるのは人だ。常識にとらわれ、従順にしたがっているだけの人では社会に変革をもたらすことはできない。

 

社会に革新性をもたらすのは常識を理解しつつも、それに抵抗し常識を覆す思想を持ちえた変人だ

 

10年や20年は日本の社会にあまり変化はないように思う

だが、人工知能がシンギュラリティを達成した場合にその後の世界は今よりさらに創造的な社会に変わるだろう。

 

その時、必要とされるのはただ一途に人の多用な創造性になるんだろう

 

自分の知的好奇心を最大限に生かし、様々なものに出会い、自らをより面白いものに創造し、表現するんだ。生きているということを。

 

手っ取り早いのは人にクレイジーと言われるくらいに好きなことに没頭すること

そこに命の輝きを感じるんだと思う

 

 

 

 

 

 

 

意識の向け方で人生は好転するのだと思う

単純な動作ほど難しい

 一つの物事をしっかりと把握するためには、事象(起こっている出来事)をよく観察し、考察する必要がある。よく観察することで様々なことがわかる。しかし、このよく観察することが案外難しい。

 

観察の方法は様々だが、まずは物事をよく見ることだ。

目の前にリンゴがあったら、リンゴをよく見る

好きな人がいたら、その人をよく眺める

色や形、そのものの持つ雰囲気、

現代はものをよく見ることが様々な外的要因によって妨げられる状況にある。

 

興味を惹かれるものが多くて、一つの物事をよく見ることを忘れがちになる

私が飽きやすく、集中力がないからなのかもしれない。それにしてもなかなか大変な時代だ。

 

耳から入ってくる情報も大量にある。こちらも、漫然と聴いていては欲しい情報が入ってこない

 

情報収集の時に大事なことは欲しい情報が何かを明確にしたうえでそこに意識を向ける意識をすることだろうなー

 

世の中で、成功者と呼ばれる人は意識の高め方や、向け方が格段にうまいのだと思う。

日々意識を高く持つということは、何かを成し遂げたい場合には必要不可欠なことだ。

意識を高めていこう。感受性を磨こう。

そうすれば、きっと人生は好転する。

 

今日思うこと

進撃の巨人なんで終わったんだよ。

パイレーツオブカリビアン明日から上映だやったー

・最近テロ増えてきている。怖いなー