或るフリーターの手記

29才フリーター、日々の雑感を記す

人間の存在理由は何なのか?遥か彼方から紡がれる今とは何なのか

人間の存在理由について考えてみた

 

結論は「分からない」に尽きる

(このブログの内容は科学的根拠などはなく、単なる私見です)

 

 

古代に生きた人々は昼は狩りをして、夜は火の周りに集まって、一日の出来事について話をしていたらしい。

 

過去から、現在まで多くのものが生み出されてきた、数え切れないほどの人生があった

およそ、人という扱いを受けずに死んでいく人もいれば、優雅な暮らしを楽しんだ人もいたのだと思う

 

今もその実状は変わらないだろう。

私がこうしてくだらない文章を書けていることは、とても幸福なことだ

 

学ぶ意欲があれば、学問もできるし、日本にいる限りにおいては娯楽には事欠かない

そのうえ、日本はとても安全だ。ただ、安全であるがゆえに、緊張感を欠いてしまう

 

快適な環境というのは、人間の成長にとってはあまり好ましくない。

不快な環境に自らを放り込むことでしか、成長は期待できない

 

成長をしなくてもよい社会、生き物であれば無理に自らを劣悪な環境に置くこともないのだが

 

いかんせん、我々の生きる世界はそうではないようだ

生きるためにはお金が必要で、社会に貢献することを求められる

 

社会に貢献するためには有用なものを生み出さなければならない

過去から、必要とされるものが多く生み出されてきた。

 

昔の人は今の世界を見たらどう感じるのだろうか

ものが多く増えすぎた現代に幸福を感じるのだろうか

現代の人はものが増えすぎていて、幸福を感じづらくなっているように思われるが

 

結局のところ、人間の生きている意味ってないんじゃないかなと思う

(これは人類は滅べば良いとかそういった類のものではない)

 

すべてが偶然であり、無理に人生に意味を求める必要もないし、何かをやらなければいけないという使命感を持つ必要もないと思う

(使命感のある人は非常に立派)

 

「今を楽しく、幸せに生きる」

 

使い古された言葉ではあるが、みんなが常に心の中にもっておくべき言葉ではないだろうかと思う

 

辛いことがあったら、やめちゃえ、逃げちゃえ

ただ、自分のやりたいことは全力でやることが大事

 

誰のいうことも鵜呑みにしてはいけない。誰も他人の人生を本気で考えている暇はないから。自分の人生は自分で考えなければいけない。

 

他人に考えることを任せた人生で自分の人生を放棄したようなものだろう

自分で考えることは疲れる。答えのない問題と常に戦い、もがかなkればいけない

誰かに人生を任せたら、一応は答えを出してくれるのだ。

「○○をすればよい」と明確に解をくれるだろう。

 

しかし、そんな人たちほど無責任なものはない

信じるべきは「自ら考えろ」と言ってくれる人だと思う

 

存在理由なんてもの自分で考えろという話だ(笑)

 

こんなブログに見る価値はないのである

SEO対策などめんどくさい、キュレーションメディアがあってはしっかりとブログを書く気は起きないのである

 

余談であるが、海外のサイトは面白い

各人が思考を凝らしてくれているため、情報の密度がとても濃く、みるに値する

 

明日からも創作活動がんばろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変人が世界を牽引する

変人とは

変人とは、「変わった人」普段の行動、振る舞いが一般の人と異なっている人だ

世の中を変える発明をした人

偉人と呼ばれる人はみな変人であると思う

いや、変人なのだ

 

行動が一般の人と変わっているからこそ、通常の思考回路を抜け出た突飛なアイデア

出てくる

 

アインシュタインエジソンビルゲイツ・・スティーブジョブズなどなど

人生の中で世界を変える発明をしているが、私生活でも常識を超えたエピソードがたくさんある

 

「あの人、変だよね~」という言葉ほどナンセンスなものはない

 

人間みな違う。同じ人などいない。

 

僕はむしろ自分が「変」でなくなることのほうが怖い

自分が社会に溶けていくことが、死ぬほど怖いのだ

 

「変人」というのは、個性があふれ出ている状態だ

 

決して恥じることはない

 

そう分かってはいるのだが、まだ心の中でグラグラしている。

不安なんだと思う。自分らしく生きることが正しいとは思うのだが

まだ、自分を信じ切れずにいる自分がいる

 

こんなことなら、普通に就職の道を選んだほうが正解だったのだろうか?

言いようのない不安だ

 

恐らく、万が一にもこの文章に目を通してくれる人がいるのなら、何を言っているのか何を書いているのか訳が分からないだろう

 

今日はまったくためにならない文章になった

そもそも、僕の出す文章など、だれが読むというのだろう?

僕の書いた絵は誰かが見てくれるのだろうか?

僕の吐く歌は何かの役に立つのだろうか?

 

楽観的な性格だと思っていたが、違うのだろうか

しかし、今こうして、文章を書いている僕は楽観的なんだろう

 

生きているだけで人に文句を言われたり、馬鹿にされることがある

 

人はなんで生まれて、死んでいくのだろう?

人間にとって代わる、新しい知的生命体が出てきたら、その真理を解明してくれることを期待したい

 

どうあることは人類の幸せかなどというのは事が大きすぎて、手に負えない

自分の幸せもよくわからないのに世界のことなどを語ろうというの馬鹿げている

 

VRがもっと普及してきたら、仮想現実に行けてずっと現実逃避してしまいそうだなと思う

 

今日はまったく、生産性のない一日であった。

 

 

どうしたら、自分の世界を広げられるか、方法はわかっているのだが、めんどくさがりな自分がすぐに顔を出してくる。精神面の弱さを克服しなければ、臨む明日は手に入らない。

 

強く前に進んでいこう、大きく道を外れ、どんな人よりも変人になろう

誰よりも強靭な精神を養おう。人間は結局は強い自己を確立することでしか自由になれない。

 

 

 

 

 

 

言葉は諸刃の剣だ 幸にも不幸にもなる 

言葉は人を幸せにも不幸にもする

言葉は剣である 

悪い言葉は相手の心を叩き折り、粉々にする

良い言葉は相手の心に宿る魔物を退治してくれる

 

私たちは言葉の使い方をもっと慎重に考える必要がある

 

悪い言葉、良い言葉を判断することは難しい

「バカ野郎」という言葉があるがこれは人によって良い意味も悪い意味にも解釈できる

 

要するに、悪い、良いは受け取った側の解釈の問題だ

言葉を発信する人が、受け手側が良い解釈と受け取れるように「愛のある伝え方」をする必要がある

 

言い換えるなら、「思いやりをもって人に接するということだ」

多くの人が知っていることだ

 

言葉が剣であることを示す例がある

ガンに侵されていないのに死んでしまった人という不思議な話がある

ある男は体調が悪く医者にいった

医師に、ガンだと告げられ余命を宣告された

そして、患者はみるみる弱っていき終いには命を落とした

 

病は気からの良い例である

 

教訓

・人は言葉によって死ぬこともあるということ

・言葉は慎重に扱うべきということ

・相手の話を権威だけで鵜呑みにせず、他の病院にも行ってみるべきだったということ

 

これらの教訓は人生において非常に大切なことだ

 

現代はインターネットの普及により言葉が溢れているような状況だ

一つ一つ言葉を吟味している暇はないように思われる

 

しかし、そんな時代だからこそ、一つの言葉の意味をよく考えてから使うようにしたいと思う

 

これまで、何の分別もなく言葉を使ってきた

多くの人を傷つけた

それは、一様に私の無知が原因である

情報の多さに負けて、不確かな情報、愛のない言葉を発することは

自分の無知を晒して生きるようことだと思う

 

これからも、誤った言葉や根拠の薄弱な情報を発信してしまうことはあると思う

それでも、抗い続ける努力をやめてはいけないのだろう

死ぬまで、何もわかる気がしないが、常に愛を持った言葉語るように心がけたいと思う

 

・自分批評・悪魔の代弁者を育てる

・言いたいことが伝わりづらい、もっと簡潔に文章をまとめられないものだろうか

・もう少し、具体例を効果的に使えるように努力しよう

・言葉に力が感じられない

・努力賞にも届かない

 

夏目漱石の話

今日、夏目さんの「吾輩は猫である」を読んでいた

夏目漱石の文章は恐ろしく無駄がない。さらに語彙力も豊富でまったく飽きが来なかった。

面白いのは、経歴だ漱石さんは40歳頃に帝国大学教授から新聞小説家へ転身している

キャリアよりも己の好きなことをやる人にはとても憧れる

 

いつまでも成長のため変化しようという気概が感じられるからだ

私もいつまでも変化を恐れずに、「変人」でありたいと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶望的な滑舌をバカにされ続けた僕が英語まで話せるようになった話

今回のキーワードは 「滑舌」 「いじめ」 「英語」 である

 

僕は学生時代、絶望的に滑舌が悪かった

友達、先生に「何を言っているかわからない」とずっと馬鹿にされていた

 

滑舌が悪かったのは、生まれつきではない

小学生の頃、友達と喋っていると「○○の口臭いよね」と言われたことがあった

「え、、、そうかな~」

かなり傷ついた

その日は、朝に納豆を食べて、遅刻しそうだったので歯を磨かずに学校に行った

それ以来、人前でしゃべることが怖くなった

僕は人としゃべることがとても怖くなった

どんどん、口が開かなくなっていった。

 

結果的に、負のスパイラルにおちいり学生時代はずっと馬鹿にされていた。

うまく喋れない上に声も高かったため、面白いといって僕のものまねをする人が現れた

僕の物まねは大流行で学校結構な人数が真似ていたと思う

 

「やった、大流行してるぞ!」と思えるメンタリティーはなく

その頃は、ただ辛かった

一番つらかったのは好きな女の子に言葉を聞き返されることだった

好きな人に自分の言葉が伝わらないことほど不幸なことはなかった

自分の自信はどんどん失われていった

僕は「いじめ」られていると自虐的に思うようになった。

 

この結果を、招いたのは自分自身である、僕が朝に歯を磨いていればこんなに長く悩まなかったと思う

 

ここから得られる教訓は

・失敗したときに、自分を分析しだめだったところは反省すること

・くよくよ悩んでいると、それにつけこみ自信を奪う人がいるということ

・悪口を素直にすべて受け止めていたら身が持たないということ

 

さて、ここから、どうやって滑舌を良くしていったかであるが

大学生になった僕は塾講師のアルバイトを始めた

子ども達に授業をするのだが、滑舌の悪さが災いして、子どもたちに何度も聞き返される、授業の内容ではなく、僕の言葉そのものが聞き取れないのだ

仕事に支障をきたすようではこの先、生きていけない

変わらなければいけない

 

 

僕は「滑舌」がなぜ悪いかを考えるようになった。

まず初めに、口を大きく開けるように努めた

これによって、口周辺の筋肉が回復してきた

次にはっきり喋るために舌筋と呼ばれる筋肉を鍛えることにした

このときは、ひたすら、家で早口言葉を叫んでいた

 

登校途中も電車の中も、暇な時間があればとにかく口を大きく開ける練習をしていた

見ている人は僕を魚だと思ったに違いない

だが、そこまでしなくちゃいけないほど絶望的に滑舌が悪かった。

 

このあたりで、だんだんと僕の「滑舌」の問題は改善されてきた

誰かに話をして「なんて言ったの?」聞き返されることも減ってきたし、子どもたちへの授業もスムーズに行えるようになってきた。彼女とも良好な関係を築けた。

 

話が伝わりだし、自分に自信が持てるようになった

それから、私は人と話すことがとても楽しく、有意義であることに気付いた

今まで、話せなかった時間がとてももったいなかったと思う

人と話すことで多くの知見を得られるし、何より言葉を発信することで生きてる実感を得られる

 

もっと、多くの人と話すために僕は英語を勉強し始めた。

英語の勉強をしているとき「TED」の動画を見た

最初に見たのはトニーロビンズ氏の動画である

非常に感動した

話の内容も素晴らしかったが、それよりも「スピーチ」は人を変えられるということに驚いた。

僕が「スピーチ」で思うのは、「校長先生や教頭先生のスピーチ」で

「スピーチ」はだらだらとした退屈なものという印象であった。

しかし、彼のスピーチは情熱にあふれ圧倒的に人に力をくれるものであった

彼のスピーチによって救われている人は数え切れないほどいるだろう

 

そこで、「悪口で人を傷つけるよりも多くの人に勇気、情熱、希望を与えられる人になりたい」と考えるようになった

 

言葉によって変わることがあることを知り

色んな言葉に注意が向くようになった

 

その中で知った言葉でこんな言葉がある

 

システムを憎み、人を憎まず

         by 茂木健一郎

 

 

人の悪口ではなく、システムの悪い部分をみんなで改善しようという解釈で受け取っている。

個人に悪口を言ってもあまり変化は起きなくて、それよりも根本的なシステムを批判して改善していくべきだと言うことだ

非常に懐の深い考えだ

 

今は、もっと多くの人と話すために英語を勉強中である。滑舌が悪かった時に「発声」

の仕組みを勉強したおかげで、「発声」の理解はスムーズに行えている。

また、コミュニケーションの楽しさを知ってしまい、さらに多くの人と話せると思うとわくわくして英語の勉強ができるのだ

 

 

誰かに言われたことを改善する努力は大事だ。できる範囲で改善しよう

しかし、他者のいうことすべてを受け止める必要はない

何が必要で、何がいらないのかをよく考えて動こう

さもないと、多くの時間を無駄にしてしまうから

しかし、無駄を無駄と理解できた時はしっかりと向き合う必要がある

そして、乗り越えていこう

悪口は重く受け止めなくてよい、人生は楽観的であるべきだ

自分に自信をもって、多くの人と話そう

多くの人との対話によって、人生はより良い方向に転がっていくはずだから

 

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人生を輝かしいものにする時間の使い方

「自分の時間」を意識し生産性をあげることで人生を豊かにする

人生において時間は有限である

何に時間を費やしたかで人生の質は大きく変化する

 

意識すべきは

「自分の時間」と「他人の時間」を意識することだ

 

人生はあっという間だ、実現したい望みがあれば、一日に使える時間をできる限り

「自分の時間」に費やすことが大事だ

 

友達の愚痴に無理に付き合う必要はないし、嫌な飲み会に行く必要もない

これらは「他人の時間」を生かされていることに他ならない。

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他人のために時間を使える人は非常に優しい人である

 高尚な人になることが目的であれば、進んでやるべきだ

 

しかし、目的を達成するためには、優先順位を考え、成すべきことに「自分の時間」を注ぎ込むことが大切だ

 

友達や上司・後輩と過ごすことも大切だが、「自分の時間」は確実に確保すべきだ

 

「自分の時間」と「他人の時間」のバランスを意識すること

そして、意識を習慣に落とし込むことによって、人生が新たな輝きを放つようになってくるだろう

 

 

「言うは易しで」この考えを実行に移すことは非常に忍耐力がいる

私もこのことを習慣化しようと頑張っているのだが、時折忘れてしまうことがある 

しかし、夢を叶えるため時間の使い方をよく考え、生きていこうと思う

 

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時代を乗り越えるための創造力 全人類アーティスト時代到来

 

 

絶えず変化を求める気持ちと不満こそが進歩するために最初に必要となるものである

                      トーマス・エジソン

 

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変化を求められる時代

 インターネットの普及に伴い、即座に目当ての情報が獲得できるようになった 

今、世界のいたるところで多くのイノベーションが起こっている

変化へ柔軟に対応できない会社は淘汰されていくだろう

 

Elom Musk氏は 「Boring Company」を創り、革新的な交通ネットワークを創造しようとしている

 日本で「森友問題」を喜々として面白がっている間に、世界は光速で変化している

 

さらに、AIにいつ職が奪われるかわからない時代だ。単純作業はすべて機械が行う世の中に変化するだろう。AIが技術的特異点(シンギュラリティ)を超えたとき、社会にどんな変化をもたらすのか、全く想像ができない

 

これからの未来に安定を求めるのは危険である

 

変化を嫌い、平和に胡坐をかき、緊張感を持たないでいると、大きなしっぺ返しを食らうことになる

日本が北朝鮮のミサイルに対して、何の対策もうてないような結果となる。

だから、我々は何が起きても良いように平時から備えておくべきだと思う

(誤解ないように述べておくが私は左翼でも右翼でもないし、日本は核を持つべきと述べているわけでもない、というか核を造った人類にほとほと呆れているし、残念に思う)

 

 常に新しい技術を自身に取り込むよう意識しておく必要がある

そして、「自分にしかできないことを創造する」べきだ

 

最近は、肩書を自分で創る人が増えているように感じる

それこそ、新しい価値の創造であり、誰にも負けない個性になり得るだろう

 

専門的な知識も必要であるが

各分野の技術を横断的に学び、組み合わせ、新しい価値を創造する力を養うべきだ

これを 「横断的楽観的創造学習」とでも呼ぶとしたい。まあ適当である。

私は適当にやるということが、自己を確立し、表現していくために大切なことのように思う。

何かのきまりに収まってしまうと、創造力が乏しくなってしまう

 

 偶然、世界に産み落とされたのだから、どんな未来が待っているかわからないが

変化を恐れずに楽観的に自らを創造していきたいものである。

 

全人類アーティスト時代 

 

AIに仕事を奪われた人類はどうなるのか?

単純作業はAIがやってくれるためにありがたいことにやる必要がなくなる

 

 

人類は結構暇になるのではなかろうか。というか、暇になるといいなと思う

暇になったら、各々が好きなことに時間を割くことが可能になるだろう。

この、考えはあまりに楽観的ではあるが許してほしい。

 

そんな時代に重宝されるのはAIが持ちえない価値を提供できる人だろう。

 

ここで「創造性」がある人のほうが有利になってくる。

「創造性」は人々が考えもよらないことを考えれる・生み出せる力である。

AIはビッグデータを用いて、今までの人類の総知から状況に応じた最適解を導き出せるようになるだろう。

 それに対抗するためには、いかに本流から外れるか、いかにユニークな邪道を生み出せるかだと思う。

 

全員が自己を表現する全人類アーティスト時代

 

全人類が映画監督であり、ミュージシャンであり、イラストレーターであり、物書きの時代、そんな時代がくると楽しいだろうな

 

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創造性の育て方 

これは、至極簡単で「とにかく多くのものを創ること」である

絵、音楽、文章、デザイン、好きなものに取り組むと良い

どんなに駄作であれ発信していくことが大事だ

自らを垂れ流していく姿勢である

 

日本人はアウトプットが苦手である。その理由は、シンプルでアウトプットをしないからである。日本は恥の文化であり、「しっかりとした型ができていないもの」を出すことを恥ととらえる傾向にあると思われる。

 

例えば、誰かが歌を披露したとしよう、それを見て

「まるで、お遊戯会レベルだ」と非難の声があがる

 

 

 こんなシチュエーションはよく見られる

「お遊戯会」なにがいけないのだろうか、稚拙ではあれ努力して作り上げたものをなぜ非難などできるのだろうか。もちろん芸術の発展のため批評は必要である。

しかし、はっきりとした理由のない非難によりどれほどの創作の芽が摘まれていったのだろうか

 

日本社会の抑圧的な風習がどれほど不幸な人を産んでいるのかを今一度認識する必要があると思う。

 

その、悪習を取り払うことができれば、日本はより良くなるだろうし、創造力のある人も増えてくるのではないだろうか。

 

創造性豊かに生きることは、人生を豊かにすると思う。見たことのないものをみんなで想像して、創造してきた。そのうえに人々の生活がある。これからの未来にはどんなものが生まれるのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿呆のアトリエ 社会になじめない

阿呆のアトリエ

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社会にうまくなじめない

今まで、いくつかのバイトを行ってきた。どの職場でもあまり人となじめなかった。

それは偏に何も実績がないにも関わらず、仕事ができると思い込んでいた傲慢さによるものであった。

さらに、恥ずかしながら、私はさぼり癖がある。阿呆である

 

日本人は働きすぎではないかと思う

働きすぎて死んでしまうのでは元も子もないし、機械のような業務では働いているのかよくわからない。

 

 

まじめに働きなさいと言われる

こんなことを言われるがまじめに働くというのはどういうことなのか?

機械のように業務に従事することがまじめに働くことなのか。

いや、労働の目的は「創る」ことにある。

 

 

 働くことは創ること、だれかに機械のような業務に従事させられることは避けるべきだ

労働は尊い。何かを生み出すことは人間の発展に貢献する非常に有益なことだ

 

しかし、残念なことに世界には人間が機械のように扱われている現状があるように思われる。

 

真に残念なことである。

 

表現の自由

人間みな表現者である

自己を表現するために生まれてきた。

だから、もっと自分を表現していこう

それがどんなに稚拙と言われようとも気にせず、生み出していこう

 

誰かのためではなく自分のために働こう

 

きっと、それが「生きる」ということなのだと

 

現段階ではそう思うのである。