人間は考える。そして、「美女と野獣」は素晴らしい。
「人間として生きる」とは「考える」ことだ
「今、私は人間として生きているのだろうか?」
人間は考える葦である 哲学者 パスカル「パンセ」
人間は考える生き物である。
考えることで発展し、火を発明し、社会を生み、国家を生み、各人が主義主張を論じ
宇宙へ思いをはせ、人工知能を生み出し、さらには自分たちより頭の良い存在を作ろうとしている。副産物として戦争や環境問題を起こすことにもなったが、、
もう一度「考える」について考えようと思う。
「考える」
心において活発に考える。みなす。デザインを作る。ある状態に意識を集中する。何かのために計画を立てる。
出典 webio辞書「考える」
私は「考える」行為をしていなかった。活発に考えていなかったし、計画も持っていなかった。
「人間」であるように振る舞っているだけで、「人間」ではなかった。
これからは「考える」から逃げずに生きよう
私はなぜ「考える」から逃げたか
「考える」はめんどくさい
現代はものが多い。それらのものが様々な事象や現象を引き起こす。
それらが、非常に複雑に絡み合っているため社会の本質が見えにくい。
- 物事の本質を見極め、
- 問題点を把握し、
- 解決策を見つける
これが「考える」ということだと思う
物事の本質を見抜くためにはじっくり観察することが大事である。
機能を考え、どのように周りに影響を及ぼすか考える。
この工程を抜きにしてはいつまでたっても問題点・構造は把握できず
解決策は思いつかない。
実にめんどくさい、
だが、前述したが「考える」ことをしない限り、僕は「人間」には近づけない
自ら考えない限りは自分の人生を生きるには至らず、他人に生かされることになる。
それは嫌である。考えを止めてはいけない、自分の足で一歩ずつ歩むのだ。
他人の勧める道よりも、自らいきたい行く方向に歩を進めるほうが何十倍も面白い
「考える」「思考」の先に見える景色
物事を考えることは面白いと最近感じるようになってきた。
本質を知ることは新しい発見をもたらす。そして、創造意欲をかきたてる。
様々な物事の本質がぼんやりと見えてくると世界の景色は一変して見えるようになる。
物事を観察し、洞察できるようになる。
考えることは自分の見える世界を広げる力がある
先日、「美女と野獣」映画を見た。
美女と野獣のストーリの中でベルは毎日大変熱心に本を読み、視野を広げようとした。
しかし、村人はベルを変人扱いした。最終的にベルは幸せを手に入れることとなるが
非常に村人は阿呆というか、愚かであると思う。
村人はベルの時間を生かされていることに気が付いていないのだ。変わり者は目を引くそれは見方によってはベルに魅了されているともてれる。みんなベルの動向が気になるのだ。
美女と野獣での教訓は
他人の目を気にせず世界を広くすること。そうすれば幸せになれる確率は上がる
だと思っている。
自分の時間を生きることに重点を置き、精一杯「考える」こと。
これが幸せを引き寄せる