時代を乗り越えるための創造力 全人類アーティスト時代到来
絶えず変化を求める気持ちと不満こそが進歩するために最初に必要となるものである
変化を求められる時代
インターネットの普及に伴い、即座に目当ての情報が獲得できるようになった
今、世界のいたるところで多くのイノベーションが起こっている
変化へ柔軟に対応できない会社は淘汰されていくだろう
Elom Musk氏は 「Boring Company」を創り、革新的な交通ネットワークを創造しようとしている
日本で「森友問題」を喜々として面白がっている間に、世界は光速で変化している
さらに、AIにいつ職が奪われるかわからない時代だ。単純作業はすべて機械が行う世の中に変化するだろう。AIが技術的特異点(シンギュラリティ)を超えたとき、社会にどんな変化をもたらすのか、全く想像ができない
これからの未来に安定を求めるのは危険である
変化を嫌い、平和に胡坐をかき、緊張感を持たないでいると、大きなしっぺ返しを食らうことになる
日本が北朝鮮のミサイルに対して、何の対策もうてないような結果となる。
だから、我々は何が起きても良いように平時から備えておくべきだと思う
(誤解ないように述べておくが私は左翼でも右翼でもないし、日本は核を持つべきと述べているわけでもない、というか核を造った人類にほとほと呆れているし、残念に思う)
常に新しい技術を自身に取り込むよう意識しておく必要がある
そして、「自分にしかできないことを創造する」べきだ
最近は、肩書を自分で創る人が増えているように感じる
それこそ、新しい価値の創造であり、誰にも負けない個性になり得るだろう
専門的な知識も必要であるが
各分野の技術を横断的に学び、組み合わせ、新しい価値を創造する力を養うべきだ
これを 「横断的楽観的創造学習」とでも呼ぶとしたい。まあ適当である。
私は適当にやるということが、自己を確立し、表現していくために大切なことのように思う。
何かのきまりに収まってしまうと、創造力が乏しくなってしまう
偶然、世界に産み落とされたのだから、どんな未来が待っているかわからないが
変化を恐れずに楽観的に自らを創造していきたいものである。
全人類アーティスト時代
AIに仕事を奪われた人類はどうなるのか?
単純作業はAIがやってくれるためにありがたいことにやる必要がなくなる
人類は結構暇になるのではなかろうか。というか、暇になるといいなと思う
暇になったら、各々が好きなことに時間を割くことが可能になるだろう。
この、考えはあまりに楽観的ではあるが許してほしい。
そんな時代に重宝されるのはAIが持ちえない価値を提供できる人だろう。
ここで「創造性」がある人のほうが有利になってくる。
「創造性」は人々が考えもよらないことを考えれる・生み出せる力である。
AIはビッグデータを用いて、今までの人類の総知から状況に応じた最適解を導き出せるようになるだろう。
それに対抗するためには、いかに本流から外れるか、いかにユニークな邪道を生み出せるかだと思う。
全員が自己を表現する全人類アーティスト時代
全人類が映画監督であり、ミュージシャンであり、イラストレーターであり、物書きの時代、そんな時代がくると楽しいだろうな
創造性の育て方
これは、至極簡単で「とにかく多くのものを創ること」である
絵、音楽、文章、デザイン、好きなものに取り組むと良い
どんなに駄作であれ発信していくことが大事だ
自らを垂れ流していく姿勢である
日本人はアウトプットが苦手である。その理由は、シンプルでアウトプットをしないからである。日本は恥の文化であり、「しっかりとした型ができていないもの」を出すことを恥ととらえる傾向にあると思われる。
例えば、誰かが歌を披露したとしよう、それを見て
「まるで、お遊戯会レベルだ」と非難の声があがる
こんなシチュエーションはよく見られる
「お遊戯会」なにがいけないのだろうか、稚拙ではあれ努力して作り上げたものをなぜ非難などできるのだろうか。もちろん芸術の発展のため批評は必要である。
しかし、はっきりとした理由のない非難によりどれほどの創作の芽が摘まれていったのだろうか
日本社会の抑圧的な風習がどれほど不幸な人を産んでいるのかを今一度認識する必要があると思う。
その、悪習を取り払うことができれば、日本はより良くなるだろうし、創造力のある人も増えてくるのではないだろうか。
創造性豊かに生きることは、人生を豊かにすると思う。見たことのないものをみんなで想像して、創造してきた。そのうえに人々の生活がある。これからの未来にはどんなものが生まれるのだろうか?
阿呆のアトリエ 社会になじめない
阿呆のアトリエ
社会にうまくなじめない
今まで、いくつかのバイトを行ってきた。どの職場でもあまり人となじめなかった。
それは偏に何も実績がないにも関わらず、仕事ができると思い込んでいた傲慢さによるものであった。
さらに、恥ずかしながら、私はさぼり癖がある。阿呆である
日本人は働きすぎではないかと思う
働きすぎて死んでしまうのでは元も子もないし、機械のような業務では働いているのかよくわからない。
まじめに働きなさいと言われる
こんなことを言われるがまじめに働くというのはどういうことなのか?
機械のように業務に従事することがまじめに働くことなのか。
いや、労働の目的は「創る」ことにある。
働くことは創ること、だれかに機械のような業務に従事させられることは避けるべきだ
労働は尊い。何かを生み出すことは人間の発展に貢献する非常に有益なことだ
しかし、残念なことに世界には人間が機械のように扱われている現状があるように思われる。
真に残念なことである。
表現の自由
人間みな表現者である
自己を表現するために生まれてきた。
だから、もっと自分を表現していこう
それがどんなに稚拙と言われようとも気にせず、生み出していこう
誰かのためではなく自分のために働こう
きっと、それが「生きる」ということなのだと
現段階ではそう思うのである。
自分は創るもの 思うことを思うままに。旅をしよう
自分を創ること
「自分探しの旅」という言葉がある。この言葉は非常に矛盾している。自分というのはどこかにあるものではない。それよりも「自分創りの旅」をしたい。
自分とは探すものではない。どこかに行けば見つかるというものではない。
自分とは創られるものである。
「やればできる」という人がいるが、これも阿呆である。「やらない」からできないのだ。そういった意味で今までの自分の人生がどれだけ阿呆で馬鹿であったかと思う。
私はどんなことが好きなのか
・旅をすること
・ギターを弾くこと
・猫と戯れること
・本を読むこと
・新しいものを知ること
他人や社会に強制されたことはやりたくないし、今日はアメリカ、明日はブラジル、明後日はインドにでも行こうかしら。と気ままにどこにでも行ける生活ができることを渇望している。
言葉は実現するという、実現したいことを言葉にしようと思う。
自分を創ることは世間で語られていることをよく考え、言葉にすることだと思う。
言葉を紡ぎ自分を創っていこう。
私は毎日旅をしたい
新しい景色を見たい。遠くに行き、多くの人に出会いたい。
それが自分の世界を広げる。毎日、にたような日常を過ごすのがつまらない。
旅先で多くの物や人と出会うことは考えるきっかけを与える。この世界に生まれたのだからこの世界の隅々を見たいと思う。
お金がない。海外に行こうとしても英語ができないからいけない。
これらの言い訳は阿呆だ。
お金がないなら貯めればいいし、英語ができなくても海外にはいける。
結局、自分に行く気がそこまでなかった。
もう飽きた。何かを言ったら否定され、夢を語ると無理だと言われる。恥を恐れていた。他者の目を気にすることも社会の風潮に気を配るのもやめることにした。
自分の思うことを思うままに発信していこう。
人間は考える。そして、「美女と野獣」は素晴らしい。
「人間として生きる」とは「考える」ことだ
「今、私は人間として生きているのだろうか?」
人間は考える葦である 哲学者 パスカル「パンセ」
人間は考える生き物である。
考えることで発展し、火を発明し、社会を生み、国家を生み、各人が主義主張を論じ
宇宙へ思いをはせ、人工知能を生み出し、さらには自分たちより頭の良い存在を作ろうとしている。副産物として戦争や環境問題を起こすことにもなったが、、
もう一度「考える」について考えようと思う。
「考える」
心において活発に考える。みなす。デザインを作る。ある状態に意識を集中する。何かのために計画を立てる。
出典 webio辞書「考える」
私は「考える」行為をしていなかった。活発に考えていなかったし、計画も持っていなかった。
「人間」であるように振る舞っているだけで、「人間」ではなかった。
これからは「考える」から逃げずに生きよう
私はなぜ「考える」から逃げたか
「考える」はめんどくさい
現代はものが多い。それらのものが様々な事象や現象を引き起こす。
それらが、非常に複雑に絡み合っているため社会の本質が見えにくい。
- 物事の本質を見極め、
- 問題点を把握し、
- 解決策を見つける
これが「考える」ということだと思う
物事の本質を見抜くためにはじっくり観察することが大事である。
機能を考え、どのように周りに影響を及ぼすか考える。
この工程を抜きにしてはいつまでたっても問題点・構造は把握できず
解決策は思いつかない。
実にめんどくさい、
だが、前述したが「考える」ことをしない限り、僕は「人間」には近づけない
自ら考えない限りは自分の人生を生きるには至らず、他人に生かされることになる。
それは嫌である。考えを止めてはいけない、自分の足で一歩ずつ歩むのだ。
他人の勧める道よりも、自らいきたい行く方向に歩を進めるほうが何十倍も面白い
「考える」「思考」の先に見える景色
物事を考えることは面白いと最近感じるようになってきた。
本質を知ることは新しい発見をもたらす。そして、創造意欲をかきたてる。
様々な物事の本質がぼんやりと見えてくると世界の景色は一変して見えるようになる。
物事を観察し、洞察できるようになる。
考えることは自分の見える世界を広げる力がある
先日、「美女と野獣」映画を見た。
美女と野獣のストーリの中でベルは毎日大変熱心に本を読み、視野を広げようとした。
しかし、村人はベルを変人扱いした。最終的にベルは幸せを手に入れることとなるが
非常に村人は阿呆というか、愚かであると思う。
村人はベルの時間を生かされていることに気が付いていないのだ。変わり者は目を引くそれは見方によってはベルに魅了されているともてれる。みんなベルの動向が気になるのだ。
美女と野獣での教訓は
他人の目を気にせず世界を広くすること。そうすれば幸せになれる確率は上がる
だと思っている。
自分の時間を生きることに重点を置き、精一杯「考える」こと。
これが幸せを引き寄せる