或るフリーターの手記

29才フリーター、日々の雑感を記す

「凡人」を受け入れ、生きる。それでも迷ったら、竹原ピストル。

才能ない。特別秀でた特技も経歴もない。29才フリーター。「凡人」の私は、どう生きれば幸福だろう?

 

目次

 

「凡人(ぼんじん)とは、優れた性質や変わった性質を持たない人間のこと」

                      Wikipedia「凡人」

 

「凡・・ごく普通であること。ありふれていること」

                      goo辞書「凡」

◎才能と年齢

世の中には凄い能力を持った人が、わんさかいる。

最初はそういった人たちを、純粋にすごいな~という目で見ていた。

 

そして、いざ自分もその凄い人たちに憧れ、同じ世界に、足を踏み入れる。

 

しかし、歩き出してみると、その差に、愕然とし、気力を削がれることが、往々にしてあるだろう。

 

そして、年齢を重ね、その人たち(天才とも評される人たち)と自分との距離が、はっきりしてゆくにつれ

 

私は凡人。ただの人、なのだと

 

愚にもつかない、悟りを開き始める。

ひどい時には、妬み始める。

 

こんな経験はないだろうか?

少なくとも私は、ある。

そして、無闇に自分を責め立ててしまう

 

◎「凡人」の理由 

では、私はなぜ、そんな行動をとるのだろう。

 

その理由は、

自分で自分を「凡人」と諦めているからだろう。

 

凄い人たちと、自分を比べ、自分は劣っていると思いこみ、怠惰な自分を正当化する。

環境や運を言い訳にする。

 

これらは「凡人」のレッテルを、自らにベタベタ貼り付ける行為だ。

 

比較検討することもなく、なんとなくその才能に圧倒され打ちひしがれる。

冷静に観察し、思考すれば、何か掴めるかもしれないのに、理性よりも惰性を優先してしまう。

 

これでは、一生 「凡人」のままだ。

かといって、俺は「天才」だと開き直れるほどの傲慢さもない

 

では、どうしたらいいだろう?

◎受け入れ、生かしてく

「拭わない方が、カッコいい」

「拝啓、絶望殿! 僕、誓う、僕、もう二度と負けない」

             野狐禅 拝啓、絶望殿

少し、話は逸れる。

私は辛いことから逃げたくなった時、竹原ピストルの唄を聴く。

竹原さんの唄は、自分の弱い部分に、真っ向から向き合うように、嫌みなく背中を叩いてくれる。

(軽く、優しくポンと叩いてくれる時もあれば、ひどく後ろ向きな時は、全力で前を向かせようと叫んでくれる時もある。)

 

結局、何かを克服するには、向き合い続けることしかないのだ。

 

ある対象と向き合い続けるには、その対象の過去を受容し、未来を創造する姿勢を、正すことがまず重要なのだと思う。(時には、距離を置くことがあっても良いが)基本的には対象に意識を集中させなければいけない。これらのことができて始めて、解決すべき問題の糸口が見えてくるのだと思う。

 

私の場合は、まず自分が「凡人」であることから目を背けていた。現状の才能や能力について、向き合えていなかった。

 

だが、それはそれでよい。全ては経験だ。

現状、才能がないのを自覚したのなら、

新たに、才能を創り、磨いてゆこう。

 

「凡人」が幸福になるには、まず自分から「凡人」のレッテルを剥がすことだ

そのためには、何か、人に誇れる実績、人より秀でた能力があるとレッテルを剥がしやすい。

 

自らの、過去を認め、才能を創り、実績を積み上げてゆこう。ゆっくりと地道で構わない。(いや、というより、そうでなければ、ほんものの才能は身につかないと思う。)

 

様々な偉人も言っているが、、

何才からでも、物事を始めるのに遅すぎることはない。

 

天才にはなれないだろうけど、ほんの少し

今が楽しくなるように、、

 

 

最後に、全くの余談を少し、、

 

竹原ピストルの新アルバム「one for the show」,最高!!!!