私小説「一鬼夜行」 第4號 「非常識人による常識論」
常識を疑えという人がいる
常識的に考えろという人がいる
千春は家から仙台駅までの道のりを歩きながら、「常識」について考察していた
常識とは、健全な一般人なら誰でも身につけているものらしい
「常識はよく分からないな、、」
ニコロ・パガニーニの演奏を携帯用のミュージックプレーヤーで流しながら、また、ぶつぶつ独り言を放っている
平千春は常識か非常識かで言えば、恐らく非常識な人に傾いている
歩き煙草をするし、酔っぱらうと路上で服をぬごうとする。アパートでは禁止されているギターを構わず弾きまくっている。
千春の非常識な行動を挙げれば枚挙に暇がない。
「奇跡」とは、常識的には考えられないことをいうらしい。つまり、少なくとも常識を知らない人には奇跡は訪れない。
非常識の千春にとって、奇跡という概念は無用の長物である。
千春は生きている限り、どんなこともありうると信じている。究極的にネガティブだが、潜在的にポジティブな所がある。
千春は人生に大した期待を抱いてはいない。ただ、この世界は非常に不気味なもので、何が生まれてもおかしくはないと思っている。
テロや戦争についても別段特別なこととは思っていない。(それは千春が直にそういったものを体験したことがないからかもしれないが)
近頃、海外では、テロが増えているらしい。
千春はこのことについて
生きることに希望をなくした人、もしくは退屈になった人々が、生きているだけで「志」や「道」に無頓着になり、ただ享楽的に生きるようになってしまった人達に嫌気が差したため、大量の無差別殺人が増えたのではないかと分析している。
しかし、本当のところはよく分からない
「人を殺したら、ストレスが増えるだけだと思うんだけどな、、そういえばこの前ネットで悪口言って殺された人がいたけど、結局触らぬ神に祟りなしということなんだろう。人はだれでも心のどこかで自分の神様を持っているから、めんどくさいんだよなぁ、、」
千春はポケットから、lucky strikeを一本とりだし火をつけ、歩き煙草を始める。そして、また甚だ納得のいかぬ様子で、右手で髪の毛をグシャグシャと掻きながら、「常識」についての考察を続ける
「結局、ある程度幸福になってしまった人間は、周りの変化には横着になってしまうんだろうな、、」
ここで、千春は1つの結論めいたものが頭をよぎるのを感じ、言語として繋ぎ止めようと必死にない頭を回転させた
「現在、世間で常識人といえば、規律や規則を正しく守り、周りの空気を重んじて、時には空気を守るため誰かを犠牲にすることも厭わない。それが社会のためと妄信して疑わない人を指しているように思われる。しかし、常識人とは、健全な人間とは、痛みを敏感に感じる事ができるだけで良いのではないだろうか。他人の幸せを創るなどと大それた嘘をつける人ではなく、弱々しくも誰かに寄り添ってあげられる人のことを、常識があると言うのではないだろうか」
千春がこの結論に至った時には、ミュージックプレーヤーからはパガニーニではなく、Oasisの曲が流れており、仙台駅へと向かう道を外れていたことに気づいた。
「また戻るはめになった、、」
平千春は思案に耽って目的地への道を外れてしまうことがよくあった。
これも、千春の子供の頃からの変な癖である
昔は一緒に歩いていた父親や母親、兄や姉に注意してもらっていたが、今は千春を注意してくれる人は誰もいない。
「優しさとか、愛情なんて、糞喰らえだな」
千春はうつむき、また自虐的に笑った